2021年08月18日(水) Vol.572 小林伊智郎(株式会社トーノ精密)

私の産学官連携とINSとKNS

岩手県遠野市在住の小林伊智郎と申します。遠野市は民話の里と言われ、河童や座敷ワラシなどが有名ですが、私は遠野の飲み屋を徘徊する座敷オヤジと呼ばれています(笑)。また、遠野はビールの原料となるホップの一大産地で、今ではビールの里とも言われる様になっています。今回、このコラムの依頼を受けまして、何を書いたらいいか迷ってましたが、INS(岩手ネットワークシステム)から繋がったKNS(関西ネットワークシステム)の堂野さんからのご依頼ということもありますので、堂野さんとのエピソードも含め、その前後の私の回顧録的なことを中心にお話したいと思います。どうぞ最後までお付き合い頂けたらと思いますのでよろしくお願い致します。
 初めての方も大勢いらっしゃると思いますので、まずは自己紹介からスタートし、そのまま現在に至るまでを末筆ながら記したいと思います。

小林伊智郎

 私は、前回の東京オリンピックの年に岩手県釜石市で誕生しました。両親に聞くとあまり手のかからないいい子供だったらしいのですが、仕事で忙しい父親に、ほとんど一人で面倒を見ないといけない母親とで、子育てに忙しくて当時はオリンピックどころではなかった様です。その後、釜石の隣町の大槌町に引っ越しして、高校時代までそこで過ごしました。子供の頃の私は比較的大人しく、なんの取り柄もなく、至って普通だったと思います。後々、座敷オヤジになるのですが(笑)。
 大学から盛岡に住むことになり、やっと一人暮らしをすることになって、一気に世界が広がった様に思えたものでした。入学したのは、岩手大学工学部金属工学科で、40名の学生全員が男という正に男クラでした。ちょっと思い描いていたものは違うキャンパスライフでしたが、サークルでは充実していました。競技ダンス部が、ある日デモンストレーションを行っていました。そのダンスに魅せらせて、勢いで入部してしまいました。ダンスと飲み会に没頭する日々のおかげか、なんとか全東北の大会のモダンダンスの部で第二位までは行けました。そして妻とはこのサークルで出会いました(笑)。
 卒業が迫り、同級生たちが皆、就職先を関東方面へ決めて行く中、私は言うと、素敵な街盛岡でこのまま住みたいと思う様になっていたので、トーノ精密と言う、当時盛岡の近くに第二工場を作ったばかりで、社長が大学の先輩でもあった会社に入社することになりました。ところが、思惑ははずれ、入社してみたら本社のある遠野の勤務となり現在に至ります。
 入社してからの二年間は、生産技術の部門への配属となり、岩手県工業試験場(現岩手県工業技術センター)で自動化のためのハードウエアやプログラムの研修へ行っていました。ここで師となったのが、現在岩手県職員の佐々木淳さんでした。また、工業試験場で開催されていたメカトロ研究会にも参加していましたが、ここでまだ会社員だった頃の佐藤利雄さんとの出会いもありました。もちろんですが、皆さん、まだ20代の頃です。入社3年目の平成元年からは産学官連携研究開発を行うため、岩手大学へ出向となり、その後、研究開発に勤しむことになります。
 出向先は、卒業した金属工学科ではなく、お向かいの応用化学科で、森邦夫先生の高分子研究室でした。4年間いましたので、2度目の学生生活をエンジョイすることになりました。ほとんどダンスに明け暮れていた頃とは違い、4年間みっちり研究できたことは貴重でした。夜遅くまで実験を行う日々、その後、飲みに行く日々、忙しかったですが充実していました。研究内容は、金属の表面処理、塩ビシートの架橋、薬品合成、金属とゴムとの熱プレスによる接合と様々な研究を行い、最終的に森先生のところで研究されていたトリアジンチオールで処理した金属とプラスチックの射出成形による接合へと発展し、事業化まで行くことができました。プラスチックの接合に関しては、もう一人の師、当時、岩手県工業技術センターの佐々木英幸さんにも、同郷で高校の先輩ということもあって大変お世話になりました。
 そして大学に出向してから四年目に入ろうかという時にINSが発足しました。そこで多くの方に出会うことができました。そこで佐藤利雄さんに紹介されたのが、盛岡に初めて来た堂野さんでした。それからINS総会では毎年お会いしましたね。懇親会はもちろん二次会、三次会でもと最後までお付き合いしていただきました。私が関西方面へ出張で行く際には堂野さんやKNSの方々と必ずお会いできました。その後の多くのKNSの方々と親交を深めるきっかけは、東日本大震災の次の年にKNSの方々が岩手にいらして、遠野に泊まっていかれた時の様に思います。懇親会でかなり盛り上がり、その後で二次会へ行こうということになり、行った居酒屋には6人用の部屋しか無かったところに無理やりぎゅうぎゅう詰めで13名で座り、異常なテンションで盛りあがって非常に楽しく、その後広い部屋が空いて店の人から移ったらと言われたにも関わらず、皆「ここでいいです」と言い張って盛り上がり続けたことは、今でも思い出深く残っています。また、ある時は、大阪のとある居酒屋に連れていってもらったところ、入店した途端、私の名の入った横断幕で歓迎して頂いたこともありましたし、また、ある時は、居酒屋で本の様なものを渡され、KNSの皆さんとの思い出の写真をスクラップブックにして頂いたこともありました。私は元々ビールが大好きですが、大阪と言ったら箕面ビールということで、天満の直営店に飲みに連れていってもらったこともありました。
 こんなこともありました。堂野さんが岩手に来られる時はほぼ必ず会って飲んでいたのですが、一度だけ、その日は都合がつかずお会いできないことがありました。次の日なら大丈夫だったのにと残念に思っていました。翌日盛岡に別件で出掛け、時間潰しに盛岡駅のカフェに入ったら、ちょうどこれから大阪に帰られるという堂野さんとばったり遭遇したことがありました。
 さらにさらに、こんなこともありました。ある日堂野さんから電話がかかってきて、初めて会った人と大阪で飲んでいて、聞いてみたら、岩手県民で遠野市民で伊智郎のことを知ってるとのこと。この遠野の友人はKNSともINSとも関係のない人ですが。世間は狭いと言いますが、ほんと岩手どころか日本は狭いですね。
 結局私のINSとKNSは、『いつも飲んで騒ぐ会』、『必ず飲んで騒ぐ会』になってしまいましたが、ご了承願います。
 最後に、産学官連携、INS、KNS、仕事、プライベートといろんなシーンでお会いできた方々に感謝致します。まだ新型コロナウイルス感染拡大でなかなか皆さんに会えない日々が続きますが、早くまた以前の様にお会いできる日、飲める日を楽しみにしております。

メンバーズコラム一覧

このページの先頭へ

Copyright (C) 2021 Kansai Network System. All Rights Reserved.
〒564-8680 大阪府吹田市山手町3-3-35 関西大学商学部 西村研究室内

会員規則 これまでの歩み