2020年11月04日(水) Vol.533 杉浦美紀彦( 兵庫県阪神南県民センター県民交流室)

近所の商店街で靴を買う

ごくありふれた話をひとつ。
1. 先日、近所の商店街に靴を買いに行きました。普段仕事で履いている靴を買い換えるにあたって、随分前にそこの靴屋で買った靴がいまだに具合が良いことを思い出して、出かけたわけです。閉店の準備をしかかっている店の親父と交錯しつつ、店の中のビジネスシューズのコーナーに向かって、靴を手に取って裏返してみるとゴム底です。「あれ?」と思って、他のものに手を伸ばしてもすべてゴム底です。驚いて「革底の靴は?」と問うと、店の親父は「革底だと滑りやすいし、雨の日は使えないし、と言ってねえ・・・」と自嘲気味に笑うばかり。以前は、この親父に確かスペイン製だとかなんとか言われて、自信たっぷりに売りつけられ、一週間後に商店街を歩いていると「良いだろう」と声を掛けられたりしたぐらいだから、その笑いに寂しさを感じてしまいます。思い出すのは、古い映画『キンキーブーツ』の一場面。イギリスの伝統的な紳士靴メーカーを継いだばかりの主人公が在庫を売り込みに行って、そこに積んである安物の靴を取り上げ、「こんな靴では半年しかもたない」と言うものの、「そのとおりだ、けれど、それはたった○○ポンドで買い換えてもらえるんだ」と切り替えされるのです。日本公開は2006年の映画ですから、とっくに目に見えている話で、14年後に愕然としたりしているのはかなり間抜けな話です。

杉浦美紀彦

2. まあ、百貨店に行けばなんとかなるのですが、なんとなく気が進みません。その後、三宮のN靴店ならば、と考えて出かけました。ここはオリジナルの靴を製造・販売していて、非常に軽く、履き心地の良い靴を売っていましたが、ここももはや革底の靴は置いていませんでした。呆然として店を出て、しばらくうろうろしました。思えば、25年前に神戸に来て初めて靴を買ったのは、元町の神戸屋という靴店で、店の親父によればバーバリー製と同じ木型を使っている(けど安い)、という靴を気に入って、何足か続けて買ったのですが、息子に代替わりすると扱わなくなり、しばらくするとお店自体がなくなってしまいました。呆然としつつも、そんなことを思い出しました。
3. じつは、なぜ自分が革底の靴を履くようになったのかを覚えていません。こだわりがあるというより、なんとなくそういうものだろうと思っているだけで、職場ではサンダル履きの奴までいるから、職場環境というわけでもありません。ここまで書いているうちに、自分は保守的な人間なんだと気づきました。それも現状を変えたくないという中途半端な程度の。それが一つ。ノスタルジーみたいなものも若干も混じっているような気もしますね。(そういえば、私は万年筆も使っています。)あるいは、最近の新聞で、「いまの(喫煙に対する)規制は、人間には習慣や癖というものがある、ということを軽視しすぎていると思います」という意見に接して、妙に共感を覚えたようなこともあるでしょう。
4. 地域産業への貢献といった意識がないわけでもないです。若干割高なことも覚悟して近くの商店街の靴屋に行ったのもそうですし、いずれ靴の修理をお願いする店が最寄り駅の側にあることも念頭にありました。それ以外にも、神戸に来てからの散髪はずっと同じ店で、他の1000円カットのお店に引かれつつも、通い続けていますね。商店街でも敢えてスーパーでない八百屋を優先したりしています。もちろん、そうこうしているうちに人間関係もできてきて、八百屋からこの夏の長雨で長野県産のレタスが高くて、といった情報を得たりすると、楽しくもあり、変えにくくもありということになります。
5. 職人仕事への憧れだってないわけではありません。先に触れたように、普段職場で履く靴に、そこまでこだわりませんが、山に登り始めた頃に買ったゴロー(東京・水道橋の有名店)の軽登山靴は、30年近く経ってもまだ使えるので(それだけ登っていない、ということでもあるのですが)、尊敬の念を抱く・・・というより、何もしていないのに自分が誇らしい気分になっていることに気がつきますね。
6. けれども、それらのことがあいまって、現状を変えたくないという気持ちが裏返しになった、新しいもの・便利なものへの反発の方がむしろ強いかもしれません。コンビニやチェーン店には、(いつでも開いている安心感や、災害時などに頼りになるという安心感もありますが、まずは)変わらず同じものを得られる安心感を覚えます。あるいは、匿名性の中に逃げ込んで、わずらわしさから解放されるという魅力もあります。一方で、効率性を追求する中では、いろいろオリジナル感を演出しても、全体としては、おしきせ文化の中からは抜け出せません。なんとなく地に足がついていない感じがして、そのことが生活の中で積み上がっていくと、逆に不安感を増すのではないでしょうか。(個人的には使い捨て文化への単純な反発もあるのですが)近くの商店街で買い物することが、そうしたおしきせ性を食い破っている行為だとまでは言えないのでしょうが、自らの体や生活に近い、作った人の存在を感じ取れるものに触れることによって、より深いレベルでの安心感を得られるのかも、などと愚考します。
7. とはいえ、靴の未来を考えるとどうでしょう。靴は、体に装着するデバイスとしても魅力的なツールです。試しに「ウエラブルデバイス、靴」で検索すると、いろいろ出てきますね。歩く・走るだけでなく、体の状態に関する情報の伝達や診断と結びついて、スマートシューズやIotといった文字が画面に躍ります。こうした私でも容易に想像できる未来にとどまらず、いろいろな展開が図られているでしょう。もっとも、あまりに便利になりすぎると、生きているという実感からも遠くなるという話も出てきますが*、そこまで行かなくとも、すでに革底の靴がゴム底の靴に機能性で優位に立つことはなくなりつつあります。そう考えると、革底の靴の寿命もそう長くはないのかもしれません。
8. さて、その後しばらくしてから、偶然通りがかった元町の靴屋で良い靴を見つけ、購入できました。やっぱり、こうしたお店は細々とでも残ってほしいと願わざるを得ません。

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