2019年04月24日(水) Vol.458 杉浦美紀彦(兵庫県神戸県民センター)

この頃、考えたこと(連想ゲームで)

2010年、2015年に続き、3回目の登場となる杉浦@兵庫県です。前回、前々回と同じく、思いついたことをまとまりなく書き連ねてみます。
1.さて、去年、小学生となった娘がいるのですが、なかなか苦労しています。(笑)まずは学校へ行きたくないと言い出します。もちろん、怒ったり、なだめたりするのですが、「なんで学校へ行かなくちゃならないの?」と問われたときには、正直焦りました。その場は何かと言い繕いましたが、果たして何故だろうと改めて考えます。そんなときには縁があるもので、とある待合室で何の気なしにパラパラとめくった本の中に、その著者なりの答えが書いてありました。具体的な文言は思い出せませんが、一時は学校を拒否した少年が見いだしたのは、学校の友達という他者による、自分とは違う考え方や受け止め方を知ること、あるいは考え直したり、意見を交換したりすることに意味があるのだろう、ということです。KNSで言うところの異分野交流の意義を少年に教えられたわけですね。もっとも娘にはそうした文言よりもチョコレートの方が有効だったわけですが。(少年の名前は大江健三郎、本の名前は「『自分の木』の下で」です。)

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2.娘といえば、秋の運動会で「U.S.A.」という曲で皆と踊っていました。(笑)皆で盛り上がるにはぴったりの曲だということで大流行したのでしょう。けれど、沖縄出身の歌手グループが今の時期に「C’mon,babyアメリカ」と唄うことに、なんだか自虐ネタを観るような思いも持ちます。彼らは、その辺りの気持ちをどう整理して唄っているのか。それとも何も考えていないのか(今、調べたら沖縄出身は一人だけになっているのですね)。そうだとしたら、「無節操」と言うべきかもしれません。

3.無節操といえば、とあるきっかけから1980年発行の本を読むことになりました。そこでは、ロッキード事件の話題にも触れて、汚職事件に関わった者の一部は法廷で裁かれるだろうが、象徴的な儀式にとどまるだろう。そして、汚職事件のたぐいの発生を根本的になくすための方法と目標について、政財界が真剣な議論を行わないのは無責任と呼ぶべきではないかという指摘がなされています。
じつは、私が最近少なからずショックを受けたことに、森友学園事件における財務省決裁文書の改竄があります。私も役人になって長いので、多少の忖度なり斟酌なりを要する場面に出会いますが、その際にも最低の理屈は通るようにしますし、それができなければ諦めてもらいます。その理屈を記した決済文書から理屈を削るとなると、役人の存在価値を否定するようなものです。実際に「常識を壊された」という言葉を残して、職員の方が自殺されています。
加えて、この件では、ほとんど誰も責任を取ろうとしていないことに愕然とします。もはや象徴的な儀式さえないがしろにされつつあるのです。そして、それらのこと以上に、真剣な議論が湧きおこらないのは、私を含めて、無節操で受動的であることの現れであるとしか言いようがありません。

4.無節操といえば、先日、たまたま見ていたテレビで、AIやロボットに仕事は奪われていくかもしれないという話題を取り上げていたのですが、ゲストの孫正義さんが「常に進化していく世の中を悲しいと思うか、楽しい、チャンス到来と思うかで結果は全然違うと思います」と発言したところ、隣の女性ゲスト(後で調べると、新井紀子さんと判明)に「資本家が実際に仕事を奪われる人に対して、『それは気持ちの持ちようだ』とか『もっと気持ちを明るく持って何とかしたらどうなのか』と言うのは私は無責任だと思う」と突っ込まれ、反論もできなかったのは、少し愉快でした。まあ、この発言だけを取り上げれば、的外れではないと思いますが、彼の立場や他の発言を考えると、無節操のそしりは避けられないでしょうし、そこから経営者の倫理というものに思いを馳せないわけにはいきませんでした。

5.経営者の倫理といえば、堤清二氏は「経営者だから、倫理があって当然と思っていたと思いますよ」と指摘する記事を目にしました。「倫理や知性を人間の行為の中でつくっていくことと、モノを消費することを結び付けようとも」して、最後には無印良品にも辿り着いたというわけです。そして、彼のような経営者は稀有な存在だからこそ、取り上げられるのかもしれません。
  経営者といえば、昨夏、東大阪の中小企業経営者のTさんにヒアリングしたことを思い出します。TさんはKNSのメンバーでもありますが、多くの中小企業と同じく人手不足にも苦労しているようで、日本人はあきらめて、とうとう外国人を雇うことにした、というお話をしてくれました。日本人の若者を雇うということに対しては、それなりの思い入れがあるようです。けれど、後日、別件でTさんをお誘いした時、雇い入れた従業員の親に会いにベトナムまで行くから都合がつかないとおっしゃるのです。異国の地で働く親の心情をおもんぱかってのことで、こうした経営者がいるのだなあ、と感嘆しましたが、加えて、いわば次善の策で雇い入れたにもかかわらず、従業員となれば、分け隔てなく接している姿に、経営者としての倫理、気品を感じたのです。

6.一方で、ビジネス倫理は、今や「各企業が国際的に展開するうえでの『武器』と教えられている現実がある」という指摘もあります。私のような世代だと、自動車の75年排出ガス規制をきっかけに、ホンダ(CVCC)やマツダ(ロータリーエンジン)が世界的メーカーに育っていったという感覚があるのではないでしょうか。現在でも、環境問題の解決とビジネスとを結びつけることはイメージしやすいと思います。
  途上国支援の意味が大きく変化しているという話もあるようです。例えば、アフリカでの電子マネーの普及(キャッシュレス化)は、寄付に伴う手数料や盗難・横領の危険性の低減化も意味します。「SDGsとは、このような技術の普及のため、極度の貧困は解決できるとなったからこそ、世界の企業がビジネスのテーマとして考えるようになっています」という状況なのでしょう。こうした状況の中では「グローバルルールを策定し、その『正義』の元で新規ビジネスの開拓も可能であるというのがポイント」になるわけです。

7.このように技術変化が人生観を変えることがありうるということは、先日のコミュニティスポット2525 Vol.54で福岡壯治さんにご示唆いただいたばかりです。続けた述べた「そうした発展にリアリティを持っている」という言葉には重みも感じました。
  一方で、何かと結びつかないと、技術の進展だけでは「夢」までは描けないのではないかという気もするのです。その何かは、「リアリティ」や「生活」というよりは、想像力や共感する力みたいなものかもしれないなと感じています。
  こんなふうに感じるのは、先日の第64回定例会 in ATCで大阪万博の話題に触れたからかもしれません。「ロボット・人工知能・IoT」をテーマに井戸端会議を行ったのですが、議論の後半で、ロボット・人工知能・IoTが進展することで実現する夢を考えよう、ということになって、最後は、大阪万博でドラえもんの「どこでもドア」を実現すれば多くの人が集まる、という話で大いに盛り上がりました。多くの人が共感できなくなっている今、70年代の夢をもう一度では、大阪万博は失敗するのは自明でしょうからね。そう、「どこでもドア」ならば、多くの人が共感できるのです。まあ、「どこでもドア」は夢というより空想ですし、しかも70年代のものでしたが。

8.逆に、「共感する」ということから考えると、夢を持ちにくい時代になってきているように感じてしまいます。でも、なぜか時代を切り拓くような人が現れます。その意味では悲観的になる必要はないかなと思います。豊かな想像力に支えられた彼らの夢は私の想像力をはるかに超えるでしょうし。それを行うのは若者に限りません。例えば、先に触れたTさんの行動も未来に繋がっていると感じます。

9.先に「踊る」話を書きましたが、甲南大学でのKNS15周年の定例会では、世話人もショートプレゼンを行いました。その際に言い忘れたのですが、デレク・シヴァーズの「社会運動はどうやって起こすか」というTED動画に中に、社会的な流れを作るには2人目(フォロワー)が重要という話がありますね。リーダーが立ち上がって踊りはじめ、皆から嘲笑されるが、2人目が立ち上がって追随し、やがて3人目、4人目と増えていって社会運動が起こる、というものです。シヴァーズによれば、この二人目の役割が重要だというわけです。そこで、KNSのことを考えると、私は踊り始めた者ではなく、二人目でさえないわけですが、せいぜい追随した者として踊り続けていきたいものだと思います。

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