2019年04月03日(水) Vol.455 安田耕三

いまがチャンスだ、船旅だ

人はなぜ旅に出るのか、私はなぜ旅に出るのか、そして私は旅に出た。
第二の人生、高齢者の仲間になって今できることは何かと考えたとき、そうだ旅に出よう、それも船旅がしたいとの思いに駆られた。これまでの人生、国内や海外に時々旅した。でも船旅はまだしていない。時間がある、体力も少し残っている、金も少しはあるこの時期、今がチャンスだと思い切って2か月の船旅を決意した。
決意してもすぐに船には乗れない、船の予約は数か月先や1年先のことが多いこと、自分の行きたい地域をめぐる船旅を選んで予約する必要があるからだ。私の場合、西太平洋をクルーズするピースボート(オーシャンドリーム号:35000トン、全長205メートル)を選んだ。理由は先輩の日本人が、かつて太平洋戦争で戦った地域に無性に行ってみたいと思った事、戦跡をたどることで先輩たちの思いに合わせてみたと思ったことが主な理由である。

天皇皇后陛下が訪れた慰霊碑 ベリリュウ島

さらにミャンマ(昔のビルマ)には今は亡き親父が、インパール作戦に参戦して、無事帰還したことなどがごちゃごちゃとまぜこぜになって、行きたいとの思いが募った結果である。
船は神戸港を2018年3月初めに出港して紀伊水道を通過、荒れる太平洋を進み、横浜港で横浜乗船の人を乗せて太平洋を南下、硫黄島の周りをまわって、パラオに向かった。
硫黄島は日米の兵隊が死に物狂いの戦いを行った場所、すり鉢山の山容が米軍の砲撃で変わったほどの激戦で、日本の守備隊1万人余りが全島に地下トンネルを構築して徹底抗戦そして全滅、また米国の戦死者がこれを上回った程の激しい戦いがあった場所である。硫黄島からの手紙で映画になった。栗林中将の指揮の下、徹底抗戦を果たしたことは、良かったのかどうか、軍人としての使命は果たしたが、兵隊たちの思いはいかばかり。船上から眺める硫黄島は、平らな島影とすり鉢山が印象的である。今は自衛隊の駐屯地があって、飛行場は米軍の艦載機の訓練場所になっている絶海の孤島である。
パラオは真っ青な海と美しい多くの島影が印象的である。この地も日米の兵隊の死闘が繰り広げられたベリリュー島に、多くの戦跡が残る。ピースボートの停泊場所コロールから高速ボートで1時間あまり、ベリリュー島に到着、この島は当時東洋一の日本軍の飛行場があった場所で、この飛行場を奪還するために米軍が上陸、激しい戦いが行われた。当時米軍は1-2週間でこの島を制圧する作戦だったのが、激しい日本軍の反撃を受けて数か月にわたって島にくぎ付けになったという。もちろん日本の兵士は7000人以上が全滅、生還できたのは30人余りだったという。米軍の戦死者も多く、あまりの激しい日本軍の抵抗に心を病んだ米軍兵士が続出したという。飛行場は今もそのまま当時の姿で残っている。高い山はないが地下通路が張り巡らされて、神出鬼没に日本軍は戦ったという。今でも朽ち果てた戦車や飛行機の残骸が残っている。ベリリュウ島には天皇皇后陛下が慰霊の旅で訪れた慰霊碑が建立されている。海軍の指令所の跡などを巡った。こんな小さな島で日本軍は死闘を繰り広げたこと、先人たちの苦しい思いを受け止めることができた。パラオは現在、日本からスキューバーダイビングに多くの若者が訪れている。
船はこの後、東チモールのデリ、インドネシアのバリ島のデノア、スマラン、マレーシアのポートクラン、ミャンマーのヤンゴン、シンガポール、カンボジアのシアヌークビル、タイのレムチャパン、ベトナムのカイラン、中国の海口を経て神戸に戻ってきた。
停泊場所から首都や、観光地のツアーを楽しんだ今回の船旅では、ぼんやりと海を眺め、読書をして時を過ごし、ダンスを楽しんだり各種のセミナを受けたりと充実した船旅を楽しんできた。
この時期に、今まで訪問した事のない国や地域を見聞できたことは、本当に良かったなと思っている。新聞やテレビで訪問した国や地域の話題が出たときには、特別の思いを持って見ている自分がいる。日本軍が戦った地域を訪ねることは、今の日本人としての立ち位置を考えるのにすごく良い刺激になった。どの地域にも戦争という苦しい時間を過ごした経験と戦跡が残っており、日本が行った良い事悪い事が残っている。それを目の当たりに見たり聞いたりすることで戦前の先人たちの生きざまと、今につながる自分たちのルーツについて考えさせられる。戦前の歴史と今の現代進行中の歴史は、切れ目なくつながっている事を強く感じた旅であった。

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