2017年12月13日(水) Vol.391 田中宏和(株式会社みのりの里)

人と人とのつながりを大切に

世話人の廣田さんに紹介していただき、何度か参加させていただいた後、メンバーにしていただきました、大阪府羽曳野市在住の株式会社みのりの里 田中宏和です。
文書を書くのは苦手ですが、機会をいただきましたので拙い文書ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
私は1970年生まれで、生まれた時、内反足(足首の関節の異常で、足の裏が内側を向いて外側部だけが地についているような状態)でした。

田中宏和

医師の判断で数か月後、足首の筋を伸ばすため手術を受け、ギプスを装着されました。
数週間後のギプス巻き替え時、持ち上げられた足が看護師の手から診療台にコトンと落ちたそうで、その時、急に私が泣き出したそうです。
その後、処置を終え、帰宅したところ太ももが腫れており「何か異常がある」ということで、病院に戻りレントゲンを撮ったところ、骨折の診断でした。
わずかな衝撃で骨折するなんて異常があるということで全身のレントゲン検査などを受けた結果、先天性骨形成不全症と診断されました。
骨形成不全症とは、骨がもろく、骨折しやすくなり、骨の変形を来す先天性の病気でI型コラーゲンの遺伝子変異が原因とされています。
この時から私の骨形成不全症とのお付き合いが始まりました。

子どものころは、とにかく骨折や筋肉痛などの痛みとの戦いでした。
私の場合、主に下半身に症状が集中していて、「足、痛い」が口癖のような感じでした。
成長障害もあるので、KNSの定例会でお会いした皆さまはご存じだと思いますが、身体は大人になっても小さいです。
5歳の時から車イスを使って生活していますが、昔はよく、「車イスの生活って不便でしょ」など言われました。でも実は私、そう感じたことはほぼゼロでして。というのも、初めて車イスを使った感想は「なんて便利なアイテムなんだろう。これがあれば自由に動ける」だったのです。
こんな私は小学校、中学校、高校と地元の学校に通いました。両親は支援学校に行かそうか迷ったようですが地域の学校で社会参加させようと考え、幼稚園には行かず、その時間をリハビリに費やし、自立できるように教育してくれました。
中学から高校に進学する時、当時(1980年代)は「うちの設備では車イスの方が生活できません」と当たり前のように学校側がコメントする時代で、私立高校受験は諦め、公立高校のみの受験となりました。
「田中と同じ高校に進学するわ」と言ってくれる友だちもでき、体調の加減で休みがちだったので、あまり賢くなかった私だし塾にも行けなかったので、友だちが家で勉強を教えてくれました。そういうところから、今思えば、表面上の付き合いではなく、本当の意味の友だちができたように思いますし、その関係は今も続いています。
高校を卒業後は通信制で大学の単位を取り卒業し、就職活動のために訪れたハローワークで職業訓練校に行くよう助言され、大阪市職業リハビリテーションセンターに、2年間通い、この時も色んな出会いがありました。
初めて自分以外の障がいを持つ方と共に学ぶ機会となり、日々、共に居ることで、これまで人に助けてもらってばかりいた自分も、仲間を助けられることはいっぱいあるし、自分にできることは積極的にやるべきだという今の自分の考え方が芽生えた時期でした。
訓練修了後、入社した株式会社かんでんエルハートは、関西電力の特例子会社で障がい者を多く雇用する会社で、第1期生として採用され5年間勤めさせていただきしまた。
そして29歳の時、羽曳野市の外郭団体である株式会社みのりの里に転職しました。
転職のきっかけは当時、インターネットの普及が盛んな時期で障がい者もインターネットやパソコン技術を身につければ在宅勤務も含めて社会参加できるということで、障がい者向けのIT講習会でインストラクターができる人を探しているということで、これまで色んな方に色んなことを教えていただいた事を次に伝えたいという思いでした。
1年間で障がい者の方から一般の市民の方まで数百人の方に対して講習させていただき、色んな出会いがありました。まちのスーパーなどで「先生、この前はお世話になりました」と声をかけてくれる方もいっぱいで、「どうも、こんにちは」とご挨拶させていただきますが、相手は私のような車イスで身体にも特徴のある人のことは覚えていますが、私としては「生徒さん居たような気はするけど。。。」ということもしばしばでした。
今は時代の流れと共にインストラクターの業務も終え、羽曳野市立生活文化情報センターをはじめとする市内4館の管理者をさせていただいております。
日々の業務でも色んな出会いがあります。もちろん、良いことばかりではなく、時にはお叱りを受けることや、理不尽なお言葉をいただくこともありますが、どんな場合もひとつの出会いですので、最後にはご理解いただけるよう大切にお話させていただくことを心掛けています。
羽曳野市出身の映画監督 岡田有甲(おかだゆうき)さんと映画イベントの仕事を通じて出会いました。昭和10年前後には羽曳野市に映画の撮影所があったことは、監督に教えていただくまで知りませんでしたし、そういう歴史は地域の方に伝えたいという思いから、毎年、無声映画のイベントを2011年から続けています。
一緒に仕事をさせていただく中、岡田監督から「お前のドキュメンタリー映画を作りたい」と言われ、目立つことが大好きな私は「私でよければぜひ」となり、2015年「ドキュメンタリー映画 ミニバンライダー -車イスで駆けてきた人生-」が完成しました。
この映画の作成は自分の半生を振り返る機会となり、今日、ここに書かせていただいたことを見つめなおすことができ、自分の周囲には多くの人がいてくれて、どれだけ自分が支えられてきたかということをあらためて認識ことができました。
写真は映画作成時の取材のため、高校の恩師や中学時代の友だち、高校時代の友だちなどが一同に集まってくれた時のものです。
私は本来、今を最善に生きていきたいので過去はあまり振り返りたくないのですが、振り返ることで感謝することができてよかったと思っています。
そしてこれからも人と人とのつながりを大切に、色んな人と出会い、お話していきたいと思いますので、KNSの定例会などでお目にかかれた時は、どうぞ、よろしくお願いします。
読んでいただいた中での質問、映画上映会や自分の半生の紹介を中心としたお話など機会をくだされば伺いますので、お声掛けくだされば嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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